社会変革の情熱
社会変革もまた情熱次第です。社会変革の情熱ということに関しては、明治時代に新島襄という方がいました。同志社大学の創立者新島襄です。江戸の末期、海外渡航の禁を破って自分で脱藩して、単身でアメリカへ行ったのです。新島襄は公費でなく自らの意志で渡米し、十年以上学んだ。その間、日本では明治維新という革命が起こっていました。
彼はアメリカの大学に入ったので、キリスト教も勉強していました。ある時、教会で話をしなさいと言われて彼は、英語で切々と訴えたのです。今日本では、革命が起こっている。しかし日本にはまったくお金がない。その日本には、新しい文明、近代文明の波が寄せているけれども、自分はそういう近代文明の大学ではなくて、もっと心の底からキリスト教文明に則った大学を作りたいと思っている、ということを教会で説法したのです。本当に情熱的に説法した。その場にいた全員がその話に感動して、結果、当時のお金で5000ドル集まったといいます。これは当時としては、大金です。
最後に、彼が説法を終えて壇上から降りようとしたら、貧しい農夫が近づいてきて、ポケットから1ドル紙幣を出して、これを受け取ってくれ、このお金で自分は汽車に乗って家に帰るつもりだったけど、自分は歩いて帰るから、この1ドルを受け取ってくれ、と言って自分の最後の無け無しの金をはたいて、彼のために1ドルを出してくれた。
というほどに、彼の話は感動を与えたようです。その時に集まったお金を元手にして新島襄は同志社大学をつくったわけですが、こういうことが「明治という国家」(司馬遼太郎著、NHNブックス)に載っています。
無私で覚悟の脱藩
彼は上州安中藩板倉家の江戸屋敷にうまれた武士でありましたが、脱藩してこっそり函館までゆき、そこからアメリカ船ベルリン号に乗りました。
この密出国の動機について、新島は後年、「この挙は、藩主や両親をすてるということではない。自分一個の飲食栄華のためでもない。まったく国家のためである。自分の小さな力をすこしでもこの賑わざる国家と万民のためにつくそうと覚悟したのである」と、まことに明治人らしい。
要は、そこまで強い情熱を持った新島襄の念いが、言葉に表れ、行為にも表れて、それが人を動かしたということです。金や名誉のためでなく、完全なる無私の念いの強さが、人を動かしたのです。
情熱は才能に勝る
まこと、無私なる情熱とは良い仕事をするものです。
「情熱は、才能に勝る」。これは、パナソニック創立者松下幸之助氏の言葉です。
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