街の活性化に関する企画・プロデュース業務 株式会社ELC JAPAN
代表ブログ
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2020/09/15

ELCまちづくりミッション㉖ 一隅を照らすブラジル人の青年

地域で輝く人

 どこのまちづくりにおいても、多くの人望を集めて地域に貢献している人は必ずいます。下町の、ある駅前の再開発で、とりわけ誰からも尊敬されている、穏やかで世話好きの人がいました。喫茶店のマスターですが、地域の借家人の世話をよくしていた方で、「あの喫茶店のだんなが理事をやっているのなら」と、何人かの借家人は、その事業に賛成してくれました。

その喫茶店のマスターも若いときは辛かったといいます。高校を出て、東北から東京に出てきて働いていた会社が倒産したのです。しかし、不運を恨むことなく再就職し、一生懸命働きました。しばらくして脱サラで喫茶店をはじめました。スタートはお店を借りて夫婦で始めましたが、やがて自分のお店を持ち、家族を養い、子供を大学まで出して、そして町会や商店街の役員もやって、いつも笑顔を振りまいていました。3階建てのビルを建てて、もう住宅ローンの支払いも終わっているだろうに、70歳を過ぎてもなお、こつこつと働いていました。「私は、誰に見られても恥ずかしくない生き方をしてきました。一生懸命努力してきました。結果として感じるのは、努力は必ず報いられるということです。『天は、自ら助くるものを助く』といいますが、本当にそうですね」。それがその方の持論でした。

人当たりがいいので、地域のいろいろな人が出入りし、その地域の要のように光り輝いている、そんな喫茶店でした。

そこに出入りするさまざまな人々の人間関係の情報のおかげで、権利調整もスムーズに運んだのです。おかげでその再開発は思ったより、早く事業が進みました。

とても勉強家で、その喫茶店に行くたびに政治や経済のことが話題になりました。あるとき、ブラジルのことが話題になって、時々その喫茶店にやって来るブラジル人の青年のことを聞きました。とても性格が良くて、日本人より情に厚いというのです。いい人にはいい人が寄ってくる。そんな感じがしたので、私は、あるとき、その人を紹介してもらいました。以下は、その日系ブラジル人2世のFさんから、直接聞いた話です。


出稼ぎブラジル人の苦しみ

 「奴隷のようにこき使われました。そして、いじめられました」と、Fさんは、その当時を思い出して、涙を流しながら私に語りました。ブラジルから来ている、いわゆる出稼ぎといわれる人たちが、私たちの知らないところで、どのような扱いを受けているのか、そのときはじめて私は知りました。もちろん、ブラジルから来た人すべてがそうだったわけではないでしょうが、しかし、少なくともそのFさんの働いていた電機部品工場では、7人の日系人のほとんどがそのような扱いを受けていたといいます。しかし、すでにこのつらい問題をクリアして一年以上たっていたので、Fさんはこの話を明るい表情で私に語りました。30数年前に、私も旅行でブラジルに行っていたことがありましたので、話題が盛り上がり、この話をしてくれたのです。


 私が会ったとき、彼はブラジルから来て7年目でした。はじめは長野県の建設会社で働いていましたが、仲間がいなくて孤独だったので、ブラジル人の仲間からの情報でいまの工場に転職したのでした。つらい日常は、初日から始まりました。初日に、先輩から教えてもらったとおりに部品のハンダ付けの作業をしたのに、主任から「何やってんだ!違うじゃないか」と怒られたのです。教えてくれた先輩は、何の弁護もしてくれず知らん振りです。他のブラジル人も同じように怒られ怒鳴られているのに、誰も助けようとはしないのです。「ああ、この会社の人たちは誰も責任を取らないのだ」。50人ほどいたその工場の日本人の工員は、ほとんどみんなトラブルを避けて、責任逃れをしていたのです。一日が終わって、帰りがけに挨拶をしても、誰も挨拶を返してはくれません。完全に無視されたのです。

二日目になっても事態は変わりませんでした。朝「おはようございます」と挨拶をしても、誰も挨拶を返してくれず、仕事に関しては、相変わらず怒鳴られっ放しです。一日終わるとくたくたでした。時に足蹴にされたりするので、一週間もしないうちに、この会社を辞めようと思うようになりました。しかし、次の当てもないので、仕方なくその工場に残ったのです。


3つの誓い

なんとかこの事態を乗り切りたいと思ったFさんは、3つの誓いを立てました。ひとつは祈ることです。熱心なカトリック信者であったFさんは、毎朝、「上司や同僚と仕事がうまくいきますように」と祈りました。二つ目は、どんな理不尽なことでも反論しないで受け入れるということです。3つ目は、少なくとも仲間のブラジル人とは結束していこうと、毎月一回、仲間7人とFさんの家で焼肉パーティーをやることにしました。

はじめ、祈りは何の効果もありませんでした。ところが、ある時ふと上司や同僚の固有名詞を出して祈れば通じるのではないかと思い、一人ひとりをイメージしながら、相手の心に向かって祈りました。するとその日の朝、工場に着いて「おはようございます」と挨拶すると、なんと初めて先輩から「おはよう」という挨拶が返ってきたのです。「ああ、祈りは具体的なほど通じるのだ」とFさんは自信を深めました。二つ目の、受け入れるということについては、どんなに怒られても、どんなに自分に原因がないことであっても、「すみませんでした」という言葉を出したのです。一日終わって工場を出るときにも、「今日も一日ありがとうございました」と深々と頭を下げたのです。そして三つ目のパーティーについては、毎月一回7人の仲間がFさんの家に集まり、焼肉パーティーという形で情報交換をしました。このときブラジル人に対して比較的好意を持っている日本人を、一人か二人必ずゲストで招いて、楽しい交流を重ねていったのでした。


職場で輝く人

こうして数ヶ月たったころ、焼肉パーティーに来ていた本社の課長が、Fさんの本棚を見て、「Fさんは、こういう勉強をしているんだ。そういえば、Fさんが来てから工場の雰囲気が良くなったよね」と、言ったのです。Fさんはうれしくて思わず涙ぐんでしまいました。Fさんの本棚には聖書をはじめとして、仏教書や心の教えを説いた本などが何冊も置いてあったのです。

その数日後、工場でいつものように仕事をしていると、ずーと意地悪していた主任が「ちょっと、ちょっと」とFさんを呼びました。なんだろうと思っていぶかっていると、「Fさんは、名前をタケシっていったよね。だから、これからは『タケちゃん』って呼ぼうかな」と親しみを込めて言ったのです。Fさんは、うれしくてうれしくて、涙を流しながらその日一日仕事をしました。その後、その主任は明らかに変わりました。何かとFさんの相談に乗ってくれたり、いろいろ向こうから声をかけてくれたりするようになりました。「そのうち、Fさんと一緒にブラジルに行ってみたいね」とも言ってくれるようになったのです。工場全体の雰囲気も和気あいあいとして、とても働きやすいものになっていきました。


一隅を照らす

 『一隅を照らす』という言葉があります。いま自分に与えられている家庭や職場で、光り輝くという意味です。喫茶店のマスターも自分の不運をかこつことなく、会社が倒産したあと、次の職場で頑張りました。自暴自棄にならず、逃避もしなかったのです。そして、独立して喫茶店を始めました。つい、私たちは、自分の不運を他人のせいにしたり、環境のせいにしたりしますが、ものごとは他人のせいや環境のせいにしても解決はしません。「その問題は、いまのあなたにとって必要なことであり、そこから学びなさい」と、天から言われていることが多いからです。


Fさんのとった心の態度もそういうことでした。環境から逃れることなく、愚痴を言わずに受け入れ、祈り、仲間と仲良くするというように、自分の考え方を変えることによって、みずから光り輝き、結果的に環境を変えていったのです。このように、愚痴ることなくひたすら自助努力するものには必ず天からの応援があります。「天は、自ら助くるものを助く」。これは普遍的な法則です。


 一人ひとりが与えられた場所で、自分に与えられた環境を受け入れて自助努力をしていったとき、家庭も職場も社会も、光り輝いていきます。国全体も輝いていきます。これを『一燈照隅、万燈照国』といいます。


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