転職をくり返す青年
偶然親しくなった28歳の青年がいました。青年はその年の秋、知人の紹介で転職して、ある住宅部品の販売会社に入ったのです。その直後、彼に会ったところ、「とてもいい会社には入れて良かったです。帰宅時間が10時や11時という遅い時間になることも多いのですが、残業も苦になりません」と嬉しそうに話していました。社長も良い青年が入ってくれたと喜んでいました。
ところが、それから3ヶ月程経った12月の末に、その青年から電話がかかってきました。ちょっと会ってほしい、どうしても相談したいことがある、というのです。もう御用納めという日に何とか時間をとって会ったところ、会社を辞めたいと言います。「え?あんなにいい会社に入れて良かったと喜んでいたのに」というと、「そうなんです、始めはそう思いました。でも、2ヶ月経った頃会社の経理の女性から、この会社はものすごい借金を抱えていることを聞かされたのです。そのうえ、粉飾決算もしているというのです。私は急に仕事に力が入らなくなりました。何か騙されて入社したような気になったのです。頑張っても、頑張っても、会社の借金返済に回っているのかと思うととても辛い。それでも、毎朝気持ちを切替えて会社に出るのですが、会社で社長の顔を見た途端に、不信感が出てしまうのです。私は騙されたと。この一ヶ月我慢して頑張ってきたけど、もう限界です。体調も悪くなって、もうだめです」というのです。
でも、こういう不況の時期、次の仕事といってもそうそうないと思うよと言っても、もう彼の耳には入りません。仕方なく、「ところで、君はどんな仕事ができるの?」と聞くと、ずーと営業しかやってきていないのです。しかも大学を出てから、4回も転職をしているのです。「随分転職をしているのだね」と皮肉を込めて聞くと、すべて彼には理由があるのです。
最初の上司は、猛烈サラリーマンの典型で、仕事、仕事、仕事しかなく、とてもついていけなくて体が持たなくて辞めました。次の上司は、すぐに怒る上司で、ちょっとした失敗でも怒鳴られて、いつもびくびくしていなければならないので、耐えられなくて辞めたのです。3番目の上司はといえば、話題が低俗で、飲む、打つ、買う、の話題しかなくて、尊敬できなくて辞めました。4番目の上司は、神経が細かく重箱の隅をつつくような人で、神経が持たなくて辞めたのです。すべて上司とぶつかって辞めていることが判りました。「じゃ、今度も同じだね」といいますと、彼は「いや今度は違うんです。今回は社長が私を騙していたんです」と言い張ります。
原因は父親との葛藤
私の目からは、同じにしか見えません。そこで私は聞きました「君は、お父さんとはどういう関係なの?」。少し躊躇したあとの彼の答えは「私は、父を憎んでいます」というものでした。理由は、小学校6年生の時、彼の父親が浮気をしたそうです。それを悲しんで母親が自殺未遂を図りました。その時、彼は、この父親は絶対に許せないと思い込みました。そういう心のトラウマをもって、彼は成長したわけです。大学を出ると、すぐに家を出て離れたところに就職しました。そしてその後4回も転職したというわけです。私は言いました。「もし今の会社を辞めても君は同じことを繰り返すよ。また上司とぶつかって辞めるよ。君は父親と和解しない限り、何度でも同じことを繰り返すよ」と。彼は「はっ」と気づいたようです。「この正月休みに実家に帰って、父親とじっくり話し合ってみます」と言ってくれました。
正月明けの彼の顔は晴れ晴れとしていました。「実家に帰って、三日三晩、父親と酒を飲みながら話し合いました。そうしたら、父も当時は会社が倒産の危機にあって苦しんでいたことが判りました。つい心がすさんで、酒に溺れてそうなってしまい、申し訳なかったと、父が謝ってくれたのです。私は本当に涙が流れました。そうしたらわだかまりが解け、自然と許せるようになったのです」。
その後しばらくして、彼の会社の社長に会う機会がありました。「いやー、本当にいい青年に入ってもらいました。2~3日前も彼と二人で飲みながら、この会社を日本一の会社にしようと、最後は涙、涙で抱きあって別れましたよ」というものでした。その青年は、勤め先の社長とも和解ができたのです。その後、彼の営業成績は素晴らしい成果を出し、新製品の販売も軌道に乗って、その会社は増益体質に変わっていったのです。
仏教の教えの中に次のような言葉があります。
『 同じ川の水を飲んで、蛇は毒をつくり、牛はミルクをつくる 』
結局、問題は周りの環境にあるのではありません。自分の感じ方、受け取り方にあるのです。どう感じるかは自分に原因があるのです。同じ環境を与えられても、愚痴や不満ばかりをいって心の中に毒をつくる人と、逆にそこから知恵を得て自分が幸せになってさらに他人をも幸福にしていく人がいます。つまり、現在の逆境をどう捉え、そこから何を学ぶか、すべては自分の問題として問われているのです。
人生の定義
私たちは、心の学習のためにこの世に生まれてきています。しかもそれぞれの学習課題は、一人一人みんな違います。ある人は、親子関係を課題とし、ある人は夫婦関係や兄弟関係を課題とします。またある人は、依存心の克服を課題とし、ある人は怒りやすい性格の克服を課題とします。このように全ての人は固有の課題を持って出てきていますので、現在の環境というのは、結局その人にふさわしい課題が現れているだけなのです。だからビジネスや仕事における厳しさも、環境のせいにしないで、すべては自分の問題としてとらえ、そこから学びの糧を得るべきなのです。発展・繁栄への道はそこから始まります。
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