M.H.(キリンビール元社長)
2020.04.15
私の会社員としての半生が、他の人と大きく違う点は「病気」です。1950年にキリンビールに入社してから今まで、全身麻酔の手術を4回受け、入院期間も延べ2年以上に及びました。病気の合間に仕事をしてきたようなものです。
特に32歳から33歳にかけて、腰椎カリエスを患った時は、大変な苦しみを味わいました。カリエスで大阪大学病院に2回入院したのですが、その間に腎臓結石と血清肝炎にかかってしまったのです。血清肝炎は栄養を取ってはいけないのですが、カリエスは栄養を取らなくてはいけません。モルヒネで結石の痛みを抑えながら、肝炎の方から治しましたが、カリエスは一向に好転せず、一生半身不随になるかもしれないと言われました。
子供もいたし、会社の休職期間の限度が近づいてくるにつれ、焦りに焦りました。しかし、ありとあらゆる治療をしてもらっても治らないので、さすがにキリンへの復帰をあきらめ、また、妻も、「半身不随になったら私が養う」と言い始めました。ところが不思議なもので、あきらめた途端にみるみる好転し、会社をクビになる期限の3か月前に退院できました。
しばらく自宅で歩行訓練を続けてから復帰しましたが、最初は容器課という内勤の職場に置いてもらい、半年たってからやっと本来の仕事である営業に戻りました。その間、同期はもちろん、後輩にも置いていかれたので、出世はこの時点であきらめていました。
営業に戻って心掛けたのは、とにかく問屋や酒販店の立場に立とうということでした。自分の都合や会社の都合でなく、まず相手の利益を考えました。会社の都合を優先すれば、短期的には利益が出るかもしれませんが、長い目で見れば相手に儲けてもらうことがキリンの製品をたくさん売っていただくことにつながると思ったからです。
例えば、問屋や酒販店からの手形を早く回収しろという指示が上から来たとしましょう。同僚の中には、取引先に迫って手形を集め、点数を稼ぐ人もいましたが、上司に掛け合って手形の回収を最大限待ってもらうようにしたのです。上司に気に入られて昇進を狙うことなど考えていませんでしたので、自分の信念を貫き、会社の方針に「逆らう」ことができたわけです。
その結果、問屋や酒販店には喜んでもらえました。親類縁者より深い付き合いができる人が何人もでき、そうした人たちが一生懸命キリンを売ってくれたので、私の業績も上がりました。同期のトップを切って課長に昇進するなど、過去の遅れを取り戻したのです。
相手の立場を深く考えるようになったのは、病気による長期欠勤で、一度は昇進をあきらめたことと無関係ではないと思っています。出世などの欲がありすぎると、上司にゴマをすったり会社のことだけを考えてしまいがちです。むろん、会社の方針を無視することは許させません。しかし、手形を無理に早く回収するなど相手の都合を無視して機械的に実行すれば、結局はそっぽを向かれかねません。囚われを捨てて顧客のために尽くしたことで、結果的に今の自分があるのでしょう。
「7つの習慣」:(356ページ)
①聞くふりをする
②選択的に聞く
③注意して聞く
④感情移入して聞く
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