前回の話の続きです。
世界の松下電器
松下電器の創業者の松下幸之助氏もまた、掃除の大切さを説いた人です。松下政経塾でもしばしばそういう話をしたことが、政経塾の講義録にも残っていますが、その松下氏が経営ということに関して、閾値を超えた瞬間がありました。昭和の7年、世の中全体が不況で労働争議も頻発し、経営者の誰もが苦労していたころ、ある人からある宗教の教団本部に誘われたことがありました。そこで見たものは宗教的エネルギーの素晴らしさです。数多くの信者が嬉々として奉仕活動を行い、本殿が隆々と建っていく様を見て、この宗教も経営という観点で見れば素晴らしい発展だ。しかし、自分のやっている企業経営と何が違うのだろうと思い巡らしたのです。
そのことが頭から離れなくなり、一人帰路についた途中でも、そして家に帰ってからも、真の経営とはいかにあるべきか考えに考えに考えて、考え抜いたのです。寝床に着いたあとも目が覚めてまた考え続けたのでした。そして稲妻のごとく目覚める瞬間がありました。
「某宗教は人びとの心を救い、安心を与えるのが使命だ。しかし、電気製品を提供するという自分のやっている事業もまた宗教以上に聖なる尊い事業だ。社会から貧困をなくすという聖なる使命を持った事業だ。自分の経営こそ某宗教以上に発展せねばならない。それにもかかわらず閉鎖縮小とは何事だ。それは経営が悪いからだ。自己にとらわれた経営。正義にはずれた経営。聖なる事業をやっているという使命感に目覚めない経営。自分はこの殻から脱却しなければならない」「そして、水道水のごとく、誰もが安価で手に入る電気製品を大量に供給しなければならない。これが私の使命だ」(『私の行き方 考え方』松下幸之助 PHP文庫)
有名な「水道哲学」誕生の瞬間です。経営の神様・松下幸之助氏誕生の瞬間です。その後、松下電器は日本の一流企業になったのみならず、世界企業へと発展していったのです。松下氏が、経営とはいかにあるべきか考え、考え、考え抜いて、閾値を超えた瞬間からそれは起こったのです。
伝説のホテルドアマン
もう大分前の話ですが、評論家の竹村健一さんが元気なころ、次のような話をしていました。あるホテルのドアマンの話です。ホテルに車が着いたら車のドアを開けて「いらっしゃいませ」というホテルのドアマン。一流ホテルのドアマンはすごいということを書いていました。黒塗りの車がサッと来て、車のナンバーを見ただけで、「何々会社の何々社長さんただいまご到着」ということを、すぐに案内する。さらに、ドアを開けた時に「何々さんいらっしゃいませ」と名前を言ってあげると、その車の方がビックリするのです。こういう一流のドアマンというのはやっぱりそれだけの付加価値を持っています。あちこちのホテルから引っ張りだこなのだということです。こういう方は年収3千万円くらい取るそうです。竹村健一さんが言っていた、そのドアマンという方は、じつは、学歴もそれほど高くない方らしいのです。仕方なくホテルに入ったというようなのです。
ところが、若い頃ある方から「ドアマンとして一流になるためには人と同じことをやってちゃだめだ。人が驚くようなことをしなくてはだめだ」と教えられて、ドアマンとして一流になるためにどうしたらいいか考えた。そこで、自分でノートを作ってひとりひとりのお客様の情報を少しずつ集めていった。つまりそういう一流のホテルに来る方は一流会社の重役ですから、その方の顔、肩書きや経歴、趣味から家族構成まで、新聞のニュースや、会社情報、それから紳士録等の情報を全部メモにしていった。それをひたすら覚えていって、わからない時にはその会社の総務部にまで出かけて行って、その情報を聞いて、そして情報をストックしていった。だいたいその情報量は、四千人分把握しているらしいのです。東京の一流会社の重役クラス四千人分把握しているのです。そうすると、顔を見ただけで、「何々さん。この度は専務就任おめでとうございます」とドア開けながら言ってあげることができる。そうしたらその方はビックリする。今朝の新聞に出たばかりなのにとつい嬉しくなる。つまり、そういう情報まで全部仕入れて、その方が見えたら早速そう言ってあげる。それほどの、感動的なサービスをしてあげる。だからこの方はホテルのドアマンとして超一流となった。
どんな職業であれ一流になるにはそれなりに努力が必要です。四千人分の情報を自分で作るのは大変なことです。顔を覚えて、家族構成、趣味、さまざまな情報を知っているというのは大変なことです。わからないことはその会社に行ってまで、聞いてくる。そういうドアマンです。そのドアマンという人は、他の本にも出ていたところをみると、非常に有名な方らしいのです。その本の中に、この方が定年退職する時に、本当に一流の会社の重役さん数10名をはじめとして、それ以外にも何百人という方が集まって、ご苦労様でしたと慰労会をやったという話が出ていました。
つまり、感動を与えるくらいのサービスをしようと思うと、それくらいの努力をしなくてはいけない。それは一朝一夕で出来ることではありません。ひたすら根気よく努力し続ける、その努力も人の何倍もの努力をしてはじめて実績が出る。ホテルのドアマンとして年収3千万円という収入を得る。
これは、根気よく積み重ねることの大切さを物語っています。集中力を持続することの大切さを教えてくれています。
シュリハンドク
ところで、インドのお釈迦様の時代、弟子にシュリハンドクという人がいました。この人は、物覚えが悪くて、お釈迦様の説法を聞いたそばから忘れていくので、仲間からも馬鹿にされていました。同じ釈迦教団にいた兄はとても頭がよく、物覚えも良かったのに、弟は全く修行にならないのです。このままでは教団に迷惑をかけるからと、兄は弟に還俗を勧めました。さすがに、シュリハンドクは落ち込んで、悲しんでしまいました。そこを、たまたま通りかかったお釈迦様が見て、「シュリハンドクよ、良いことを教えてあげよう。これから、毎日、箒で庭を掃除しなさい。『塵を払わん、垢を除かん。塵を払わん、垢を除かん』といってやり続けなさい」と教えたのです。
シュリハンドクは、毎日毎日やり続けました。そしてあるとき、シュリハンドクはハッと気づいたのです。「ああ、これは人間の心も同じだ。常に掃除をしないと汚れていくんだ」と。その後シュリハンドクは教団の中で「阿羅漢」という悟りに達したと仏典に遺っています。
これからのまちづくり
かつて、ある地域の再開発事業で、その再開発に批判的な地権者の方と話したことがあります。彼は言いました。
「このまちの再開発は必要だと思います。しかし、参加しないのを陰で悪者のように言われるのは納得できません。じゃー、その推進している人たちは、きれいな建物ができたら即、理想的なまちができると思っているのだろうか。今までのようなコミュニティが持続すると思っているのだろうか。そんな単純なものではないでしょう。新しく入ってくる住民のほうが圧倒的に多くなるのですから、いままでのような地域社会を実現しようと思ったら、相当な熱意が必要だと思います。なのに、いま推進している人たちからそういう熱意を感じないんです。だから、私は参加しない。
もし本当に理想的なまちづくりをしたいのなら、いまからでも、地域の掃除をするとか、道路わきにお花を植えるとか、壊れた自分の家の塀を直すとか、いろいろやることがあるはず。あるいは、一人ひとりが自分たちの夢を語っていくはず。その延長上に新しいまちづくりが始まるのではないでしょうか。いまからそういうエネルギーを出していかなければならないのに、彼らはそういう行動さえしていない。だから私は彼らを信用できない」
彼が言いたかったのは、「推進派の人たちは、コンサルタントやディベロッパーに依存して、形ばっかり追っている。本当に必要なのは良いまちをつくろうという理想と行動ではないのか。コンサルタントやディベロッパーに任せておくのではなく、自分たちで主体的に考え、主体的に行動するべきだ。地域の人たちに対して自分たちの言葉で理想を語るべきだ」ということだったように思います。
「もし、自分のところに来て、正々堂々とその理想を熱く語ってくれたなら、私も賛成したのに」ということでした。
その地域の再開発はその後、中断し、そして冷めて行ってしまいました。結局、中心となる人たちが、考え方において、行動において質的変化を起こせなかったのです。誰も熱く語れなかったし、誰も閾値を超えることができなかったのです。
弊社とご一緒に、まちづくりやものづくりの活性化に
取り組みたいというお客様からのご連絡をお待ちしております。