まちづくりと人の心
ある地域で、再開発事業に取りかかったころのことです。最初は地域の皆さんで、協議会という組織を作って再開発の勉強会をしていました。ひと通りの勉強も終わって、いよいよ準備組合という任意の組織をつくり、具体的な施設計画や事業計画の検討に入ろうということになりました。任意の組織とはいえ、具体案の検討ですから、手順を踏んで地権者の皆さんの了解を得ながら進めていかなければなりません。
早速に、大まかな測量や建物調査をすることになりました。誰が住んでいて、どういう権利関係で、借家人がいるのかいないのか、営業状態はどうなのか、などですが、最初の調査ですからあまり立ち入った内容にはなりません。まだコンサルタントとの信頼関係がそこまで出来ていませんから、慎重にやり始めたわけです。そういう中で、再開発に対してはあまり乗り気ではない立ち食いそば屋さんがいました。乗り気ではなかったのですが、準備組合を作るのは反対しないし、測量や建物調査ぐらいはしてもいいよと言ってくれていました。
ところが、順番が来て、その立ち食いそば屋さんの測量をしようという段階になって訪ねたところ、「俺のところは、ほっといてくれ」と、態度が急変しました。「おかしいな、今まではそれほど強烈な反対でもなく、結果だけ教えてくれたらいいという状態だったのに、どうしたのでしょうね」と準備組合の役員の人たちと頭をひねりました。
なにがあったのだろうと、話し合っているうちに、その人に関わるいろいろなことがわかってきました。そのそば屋さんは、過去にその商店街の役員をしていたことがありましたが、酒癖が悪くて商店街の旅行のたびに、飲んで暴れて旅館のテーブルや食器を壊して、みんなに迷惑をかけたので、役員から下ろされてしまっていたということがあったのでした。もともと人付き合いのあまりいいほうではなかったのですが、その後はますます近所とは付き合いが遠のいてしまっていたのです。
たぶんこの立ち食いそば屋さんは、役員を下ろされたという過去の古傷があったために、機会があればいつかはまた地域の役員になりたいと思っていたのでしょう。なぜなら、その準備組合の役員の決定があった頃から、彼の態度が急変したからです。言葉には出さなかったのですが、自分ももしかしたら役員の声がかかるかと期待していたのかもしれないのです。考えてみれば、自分の中学の同級生が役員に入り、さらに後輩までが理事長になったのに、自分は全く蚊帳の外に置かれたので、寂しい思いをしたのかもしれません。
「そうか、彼も役員に入れてやればよかったなあ」と他の人たちが気づいても後の祭りです。その後は事業が進むにつれて、ますます態度を硬化させ、そのうちに「強引な再開発反対」という看板まで、自分のお店の前に出すようになってしまいました。
心の奥にある反対の理由
さらに、深い事実もわかってきました。この人の父親という人はとても怒りっぽい人で、いつも彼を怒鳴っていた。だから中学時代は、一見おとなしく見えたけれども、何か気に入らないことがあると、すぐにかっと来るタイプであまり親しい学校の友人もいなかったということでした。
そういう人は当然、屈折した感情を心に持ちながら大きくなります。とくに父親に認められてきませんでしたから、自分の出番を求めています。誰かに認められたいという思いを持ちながら、大きくなっています。
再開発事業における地権者の方への対応というのは、このように一人一人の心理を読んでいかないと、うまくまとまりません。もし、このそば屋さんの過去の事実をもっと深く事前に知っていれば、もう少しうまい対応ができ、この方をここまで窮地に追いやることがなかっただろうと反省しきりです。
街づくりにおいては、最初のボタンの掛け違いが、あとあとまで尾を引き、次第に感情的な反対になって、やがてどんな条件を出されても受けいれないという事態まで進んでしまうのが現実なのです。なぜそうなるかというと、通常はこのような心理を深く読むところまでいかずに、この人は反対だから、あまり事を荒立てないでおいて、最終的には少し金でも積んで押し切っていこう、という方向に行きがちだからです。
しかし、もしこの人がみずからの欠点に気づき、みずから人生の修正ができたら、それこそ自分から再開発賛成となるはずです。地域の人とも協調した気持ちの良いまちづくりが可能となるはずです。まちの再開発と同時に、自分自身の人生の再開発も可能となるからです。真のまちづくりもそこまでできていくと、本物になるのではないでしょうか。ゆえにまちづくりには、心理学も必要だと思うのです。
このように、主体的な人生を生きる人たちが集まってはじめて、活気のあるまちづくりが可能になると思います。そのためには、各人がその事業を通して、みずからの欠点に気づき、みずからがその欠点を修正していくということが必要になってまいります。まちづくりは、人づくりでもあるというわけです。
次回は、今の話をさらに深く掘り下げる材料として、一人の落ちこぼれ青年が、会社を救い、地域活性化のきっかけとなった話を致します。
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